【アラベスク】メニューへ戻る 第17章【来し方の楔】目次へ 各章の簡単なあらすじへ 登場人物紹介の表示(別窓)

前のお話へ戻る 次のお話へ進む







【アラベスク】  第17章 来し方の楔



第2節 想われ心 [12]




 なぜだ? なぜ里奈が聡に嫌いだと言われて私が腹を立てる?
 今だに里奈を大切に思っているのか? 里奈を親友だと思っているのか?
 だが、それは少し違うような気がする。
 なら何だ? 聡か? 聡には、そのような事を言ってもらいたくはないのか? 幼い頃から知っている仲だから、大切な幼馴染だから、だから聡にはそんな酷い言葉を吐いてもらいたくはないのか? そういう人間にはなってほしくないという思いか?
 それも違うような気がする。
 なら何だ?
 混濁(こんだく)する脳裏に、自分を冷たく蔑む冷ややかな瞳が浮かぶ。
 怠惰で、冷酷で、女など皆くだらない存在だと言ってのける美貌の男性。
 もしも霞流さんに嫌いだと言われたら、私だったらどうなるだろう?
 もしも好きな人に嫌いだと言われたら?
「謝れ」
 美鶴は命令するように繰り返す。
「里奈に謝れ」
「嫌だ」
 ようやく言い返す。
「謝らない。だって本当の事だ」
「言っていい事と悪い事がある」
「俺はアイツが嫌いだ。好きだなんて言われたって、俺は応えられない。だから断っただけだ」
「断るにしたって、もうちょっと言い様ってもんがあるだろ」
「言い方を変えればそれでいいのか? フられるのに違いはないだろ?」
 顎をあげて見下ろされる。嫌味のように聞こえた。
 どんな言い方をされても、フられれば傷つく。それは、美鶴にフられて聡がショックを受けたのと同じ。
「どんな言い方をされても、同じだよ」
 言葉の中に、自分への非難が込められているかのようで、美鶴は唇を噛む。だが、それでも引かない。
「どんな言い方をされても同じか?」
「あぁ 同じだよ」
 ふてぶてしく返す相手。
「じゃあ、お前は」
 掴んでいた腕を放す。
「お前は」
 視線を外し、床を睨む。
「お前は、私に嫌いだと言われても同じ、なのか?」
 目の前が暗くなった。全身から血の気が引いていくような錯覚。いや、現実かもしれない。
 肩から二の腕にかけての血液が一気に下がったかのような気がして、聡は腕に疲労のようなものを感じた。逆に指先には体中の血が()()なく流れ込んでくるかのようで、膨れ上がった血管がドクドクと脈打っている。そのうちはち切れるのではないか。不安と不快に、思わず指を動かした。ピリピリと痺れる。
「平気、なのか?」
 今度は聡が唇を噛む。
「平気なワケ、無いだろ」
 なんとか答えて両手を美鶴の肩に乗せる。瑠駆真の腰が、少しだけ浮く。
「平気なワケがない」
「でも今お前は、どんな言い方をされても同じだと言った。だったら、私がお前を嫌いだと言って振っても、結果は同じだったと言う事か?」
「なに?」
「私が、遠まわしに気を使ってお前の気持ちを断っても、ストレートに突き放しても、どちらも同じだったという事なんだな?」
 美鶴は美鶴なりに、気を使ったのだ。聡や瑠駆真が、できるだけ傷つかないように、と。
 だが、そんな美鶴の肩を、聡は強く握る。
「へぇ、じゃあお前は、俺に気を使ってくれてたってワケか?」
 呆れたような感情が含まれている。美鶴は顔をあげた。やっぱり、呆れたように見下ろされた。
「どっちみち、ショックだった事には変わらないんだけどな」
「でも、それなりの言い方ってものがある」
「それは振る方の言い分だ。こっちにしたら、どっちだって同じだ」
 ゆっくりと顔を覗き込む。
「同じなんだよ」
 ゾクッと、背筋に寒気が走った。
 美鶴に振られて、霞流の事が好きだと言うその言葉にどれほどのショックを受けたのかを、強く思い知らされる。
 私は、聡を傷つけた。
 だがそれでも、聡の言葉は許せない。
「里奈に謝れ」
「まだ言うかよっ!」
 生唾を飲み込んで一歩引こうとする美鶴。もう一声怒鳴ろうとする聡。そんな二人の間にツバサが強引に割って入る。
「やめなよ」
 聡と向い合う。
「美鶴を責める事ないでしょ」
「最初に責めるような言い方をしたのは美鶴だ」
「だって、それは」
「何だよ? 悪いのは俺か?」
 おどけたように首を傾げる。
「俺はな、お前が言えって言うから言ってやったんだ」
「そんな事を責めてるんじゃない」
「じゃあ何だ?」
「嫌いだなんて、そんな言い方は酷過ぎると言ってるの」
「お前ら二人して、何言ってんだよっ」
 聡は床に向って怒鳴り散らす。
「田代、田代、田代。そんなにアイツが大事かよっ!」
 腕を振って美鶴を睨む。
「お前、アイツに裏切られたんだぞ。思い出せよ。アイツのせいでお前は傷ついて」
 諭すように声音を落す。
「あんな奴、庇う必要もねぇだろ。会う必要もないはずだし」
 そうだ、里奈も言っていた。もう会う必要は無いと。
「アイツとは絶縁したんだ。お前には関係の無い話だろ」
「確かに私は、里奈から離れた」
 美鶴はできるだけ声が上擦らないように、注意深く発音する。
「だから、里奈の恋心に口を出す権利は無い」
「だったら」
「でも、それとこれとは違う」
 激しく遮る。
「嫌いだなんていう言葉を使うのは、間違ってる」
「そこまで、庇うか」
 聡には納得ができない。なぜ美鶴がそこまで自分を責めるのか。
 田代が傷ついて、なぜ美鶴が腹を立てる?
 美鶴には関係の無い話だ。本人もそう言っていた。だったらなぜ、ここまで(こだわ)る? なぜここまでしつこく、謝れと責める?
 美鶴の顔を凝視するうち、小さな疑問が再び沸きあがる。
 美鶴は、俺と田代との関係を、どう思っているのだろう? 俺の事が好きだと叫んで抱きついてきた田代を、どう思っているのだろうか?
 まさか、本当に、俺と田代がくっつけばいいだなんて、思っているのだろうか?
 嘘だ。
 否定する。
 美鶴がそんな事、考えるはずがない。
 だが、一度浮かんだ疑惑は、なかなか消えてはくれない。
 俺と田代がくっつけば、美鶴だって喜ぶ、はず?







あなたが現在お読みになっているのは、第17章【来し方の楔】第2節【想われ心】です。
前のお話へ戻る 次のお話へ進む

【アラベスク】メニューへ戻る 第17章【来し方の楔】目次へ 各章の簡単なあらすじへ 登場人物紹介の表示(別窓)